リスク・コミュニケーションの社会的背景



 リスク・コミュニケーションは、行政や企業の開発行為などをめぐる議論の中から生まれてきました。 そこには、民主主義を支える公民権、知る権利、自己決定権などの思想、別の側面からみれば説明責任やインフォームドコンセント、 情報公開といった思想があります。

 また、リスクが変容したことも大きな要因です。科学技術の進歩は、豊かさや利便性とともに、 病気の克服や防災技術によって生活上のリスクを低減してきました。一方、様々な化学物質の影響や地球環境問題のように、 潜在的で複雑で間接的な新しいリスクを生み出しています。

 このような社会の対応とリスクの変容は、国によって様々な形でリスク・コミュニケーションを必要としてきています。 ここでは、米国欧州日本の場合について概説します。



【米国の場合】

国民本位の民主主義社会

 米国では、その歴史的背景によって建国の時代から「政府が住民への影響を十分検討しなければならない」 という認識がありました。例えば、1930年代はじめに連邦政府が農業政策で住民参加を行っています。 1944年には、政策決定過程で行政に住民の意見聴取義務を負わせた行政手続法が成立しています。 60年代後半、都市問題や公害問題が社会問題化すると、行政や企業の開発行為に対する批判が強まりました。 そうした中で、政策決定過程に公開ヒアリングを制度化した環境政策法と情報公開法が成立します。 開発行為を中心としたリスクに関する情報の開示は、これらの法律を根拠として求められるようになりました。

市民の判断力への信頼と知る権利

 さらに米国社会の特徴としては、普通の市民の良識や判断能力に信頼をおくシステムと 多様な意見を認める文化とをあげることができます。人々の判断能力と多様性を認めると、 「人々が各自の状況にあった適切な行動をとるために必要な情報を提供する」ことが重要になります。 インフォームドコンセント(よく知らされた上での同意)の考え方は、自分の生命や健康に関する情報を 「知る権利」と適切な手段を「自己決定する権利」に基づいています。もちろん、このような考え方が定着した背景には、 医療過誤などで専門家が訴えられるという訴訟社会の影響もありました。

多様な主体が議論する政治風土

 政策提案能力や専門的な議論への参加能力をもった環境団体や市民団体が多いことも、 米国でリスク・コミュニケーションが情報伝達から相互作用プロセスへ変化した要因と考えられます。 パートナーとして議論する相手がいなければ相互作用は期待できません。 ただし、このような対立的な政治風土は合意形成に時間がかかり、政策の実施を遅らせがちでした。 米国は、政策立案の段階から利害関係者を参加させる欧州のやり方を学ぶことによって、政策実施の迅速化を図っています。

【欧州の場合】

専門家主体の規制制度

 欧州は民主主義発祥の地ですが、階級社会が厳然として残っており、最近までは 行政・企業・専門家に対する信頼が高い社会でした。また、行政・企業・専門家は協力的な関係をもち、 政策の合意形成が比較的円滑に行われ、しかもそれらの政策が非常にうまく機能してきました。 このため、専門的な議論を一般大衆とするという考え方は生まれにくく、市民側も専門家に任せておけば大丈夫、という考え方が強かったようです。 ただし、米国のようなリスク・コミュニケーションの考え方こそ生まれませんでしたが、 政策決定に市民を巻き込む試みはいくつかの国で行われました。例えば、スウェーデンやオランダでは エネルギー政策に関する国民的議論が展開されましたし、科学技術政策ではデンマークのコンセンサス会議が継続的に実施されてきました。

セベソ事故の影響

 大きな転機となったのは、1976年イタリアで起きたセベソ事故です。 医薬品の化学工場から大量に流出したダイオキシンによって、セベソの町の人々が被ばくし、 高濃度の汚染を受けた地域の700名以上が立ち退かなくてはなりませんでした。 この事故を受けて、1982年ECは有害物質による汚染を減らし、人々の安全を守るための規制を求めた指令(セベソ指令)を発行し、 1985年までに実施するよう、加盟各国に求めました。

 セベソ指令の要点とは、「事故によって影響を受ける可能性のある人々に、安全対策と緊急時対応を知らせる」ということです。 これによって、大規模事故に関するリスク・コミュニケーション活動が開始されました。

社会的不信の中での再出発

 90年代に入って、政策の失敗や専門家判断の誤りによる事件が相次ぐ中、 専門家中心で閉鎖的な政策決定システムに対する不信感が高まりました。 最大の影響を与えたのはBSE(狂牛病)です。また、国内・地域内・世界規模で進む環境悪化に対する関心が 高まったことも影響を与えました。主要国で緑の党が政治力をもち、政策決定に関与するようになっています。 現在欧州は、米国のリスク・コミュニケーションを学び、行政・専門家と一般市民との対話を実践しはじめています。

【日本の場合】

問題意識は90年代初めから

 日本でリスク・コミュニケーションという言葉が使われたのは、平成8年度の環境白書です。 しかし、心理学の分野では80年代後半からリスク認知やコミュニケーションに関する研究が増えてきていました。 1990年には総合エネルギー調査会原子力部会が、「信頼感の醸成」や「受け手の立場に立った広報」など 現在のリスク・コミュニケーションに近い概念を政策問題として提言しています。 その後も化学物質や原子力問題などで特にリスク・コミュニケーションの必要性が叫ばれてきましたが、 残念ながら実践例はほとんどありません。また、一部では、リスク・コミュニケーションを合意形成の 便法として認識している向きもあり、本来の考え方が理解されていないままに形式的な実施が行われるのではないかと危惧されます。

日本の問題点

 日本の問題点としては、
1.行政・企業・専門家側に市民の意見を尊重する考え方が弱い、
2.市民自身にリスク情報を得ようという意欲が弱い、
3.そもそもリスク評価データが乏しいことがあげられます。
例えば、開発行為の認可手続きの中で行われる公開ヒアリングは、一度しか行われず、質問者はあらかじめ主催者によって決められており、 一方通行の意見表明の場でしかありません。市民もリスクを知った上で自己決定しようとは考えておらず、 リスクをゼロにする対策を行政・企業に求めがちです。このため、小さな川や池にもフェンスが張り巡らされるなど、過剰な対策が行われています。

日本人のリスク感性と今後のリスク・コミュニケーション

 しばしば「日本人には米国流のリスクの考え方はなじまない」といった考え方が示されますが、本当でしょうか?  実は日本人は単にリスクの考え方を学んでこなかっただけかもしれません。 今日のようにリスクに満ち溢れた社会で生きていくためには、リスクを避けるだけでなく、 管理をしていくことを考える必要があります。そして、昨今の事件によって、市民はリスク管理を行政や 専門家任せにできないことに気づき始めています。PRTR法による化学物質のリスク情報開示は、 市民のリスク意識を強めるに違いありません。環境団体が行政や企業とは異なるリスク評価結果を出すことも予想されます。 何よりも人々が「知る権利」の重要性に気づき、この権利を主張し始めていることがあります。 このような事態の中で、日本でもリスク・コミュニケーションが求められ始めています。




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