武蔵野市ごみ焼却場建設

 日本においても、住民参加の中でリスク・コミュニケーションの概念に近いものが展開されている例があります。 行政が決定する事柄に住民が係わって成功した初期の例として有名な,武蔵野市の一般廃棄物焼却施設建設の事例をご紹介します。




問題の背景

 武蔵野市は、人口約13万人、平均所得の高い市として有名です。高度成長期に急激な人口増加を経験しました。 人口の急成長は当然公共サービス負担の増大につながります。中でも問題になったのがゴミの処理でした。 当時、武蔵野市には自前の一般廃棄物処理施設がなく、隣の市の処理施設を利用していました。 しかし、急増する武蔵野市のゴミに対して隣接市住民は強く抗議し、武蔵野市は市内への処理施設建設を決定します。 市内への建設は武蔵野市民からの要望も強く、市の調査ではほとんどの市民が処理場建設に賛成していました。

総論は賛成でも

 1970年から後藤喜八郎市長の下、コミュニティセンターなどの設計に住民を積極的に関与させていた武蔵野市では、 1973年市民参加による清掃対策市民委員会を設け、ゴミ処理のあり方を検討することにしましたが、建設の話は一向に進みませんでした。 このため、再度隣接市から強い抗議を受けた市長は、1978年突然「市民プール地」への建設計画を発表しました。

突然の建設地発表に強い反対

 発表後、市は住民説明会を8回開催しましたが、この突然に建設地発表に対して、住民側は用地選定の不透明性を理由に反対、 選定の見直しと住民参加を要求しました。しかし、市長は「立地場所を決めるのは市の役割」として住民の要求に応じず、 市民との対立が激化しました。このような状態の中で、市議会も結論を出すことができませんでした。

住民参加で選定やり直し

 後藤市長の後継者であった藤本正信が新市長に当選すると、新市長は、問題解決のため、清掃対策市民委員会に 用地選定のための市民参加のあり方を諮問し、その答申に沿って1980年「クリーンセンター建設特別市民委員会」を発足させました。 委員会は、専門家委員と建設可能な4候補地(いずれも市有地、市民プール地を含む)周辺住民によって構成されました。 市職員は事務局に徹し、討議には加わりませんでした。 委員会は、専門家委員の講義や他の施設の見学などを含め、10ヶ月間26回の討議を経て4候補地点の評価結果を発表しました。 これは、専門委員を交えて地点選定のための評価軸を決定し、それに従って4候補地点を評価したものです。 最終決定には専門委員は関わらず、市民委員だけで決められました。武蔵野市は、審議過程の議事録等をすべて市民に公開していきました。

関係住民全員の賛成は得られなかったが

 武蔵野市は、最も評価の高かった「市民グランド」への建設を決定し、周辺住民への説明を開始しました。 自分たちの代表である市民委員の結論でも周辺住民全員の賛成を得ることは難しく、結局、 周辺3自治会のうち1自治会は反対を通す状態の中で、建設計画は実行に移されました。 これは、廃棄物焼却場建設の補助金申請の期限があったためです。 その後、さらに市民参加による「まちづくり委員会」が設立され、1984年まで美観や環境対策を検討し、 武蔵野市の一般廃棄物焼却施設は稼動しました。稼動後、立地の付帯条件であった運営委員会を設立し、 周辺住民代表を加えた環境モニタリングを行っています。

信頼とリスク・コミュニケーション

 武蔵野市の場合、結局周辺住民の反対は残ったままでしたが、この市民参加とその中での討議、 つまりコミュニケーションによって、市と市民との信頼関係がつくられ、その後も交流が続いているそうです。 また、建設地評価に際しては、専門委員と市民委員によって環境や健康リスクを考慮した評価軸が検討され、 専門的な評価だけでなく、住民の懸念や関心に配慮したリスク・コミュニケーションとリスク評価が行われました。




参考文献:
寄本勝美「自治の現場と「参加」」学陽書房、1989年。 寄本勝美編著「自治体・地域の環境戦略 第7巻 地球環境時代の市民、企業そして行政」ぎょうせい、1994年。



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