狛江市ビン・缶リサイクルセンター建設

 人々が望んでおり、環境リスクが小さい施設といえども、住民の強い反対にあって立地が進まない事例は後を絶ちません。 狛江市がリサイクル推進のために建設しようとしたビン・缶リサイクルセンターもその一例です。 解決策は、住民参加による立地選定のやり直しでした。




問題の背景

 狛江市は東京都内にあって人口7万人、面積6.4kuという全国で3番目に小さい市であり、 廃棄物処理はすべて他地域の施設に依存しています。自前の廃棄物処理施設は保有できないものの、 廃棄物量を減らすことが必要であり、市内にリサイクルセンターを建設しようとの認識が市民の間に高まりました。 市の意識調査では9割以上の市民がリサイクルセンター建設に賛成していました。 これを受けて1991年市議会は市有地の一つを建設地に選定し、住民説明会が開始されました。 しかし、建設地(準工業地区)が第一種住専地区と保育園に隣接していたことから騒音や安全性への懸念が出された上に、 決定プロセスが不透明であるという理由から周辺住民は強く反対しました。住民説明会は3回目からボイコットされる事態になりました。

職員の提案から住民参加で選定やり直し

 ここに至って、市職員の間から、打開策として武蔵野市の住民参加方式が提案されました。 1991年12月に「一般廃棄物処理基本計画策定委員会」を設置、市民参加による建設地選定が始まりました。 狛江市は、市民との信頼回復のために関連情報を包み隠さず提示することに努力するとともに、 市長と市議会が委員会の決定に従う旨の同意を得ました。

 市民委員会は、適地の判定条件を決めたのち、市内のすべての適地を検討し、候補地を2ヶ所にしぼり、 1992年8月に中間答申を提出しました。その後、候補地周辺住民代表5名を加えた拡大委員会が設置され、 住民ヒアリング等を行いながら、専門委員による専門家部会で技術的課題の検討が行われました。 専門家部会は2つの候補地を公平に評価し、施設イメージを作成し、委員全員が具体的なイメージをもって議論できるように配慮しました。 しかしながら、最終的な段階になっても市民委員の意見は二分されたままで、建設地選定が難しかったため、 市民委員だけ討議することが求められました。結局、市民委員らは建設地をどちらにするかという結論を出すことができませんでした。 その代わり、市民委員らは最終的な選定を専門家部会に委ねるという結論を出したのです。 これを受けて、1992年12月、当初予定地を建設地とする答申が出されました。

建設付帯条件の履行

 ただし、この結果に「32項目の付帯条件がすべて満たされること」という前提がついていました。 1993年から、付帯条件を満足する具体的な建設計画についての市民参加が開始されました。 住宅地にあった外観デザインや周辺の緑化、コミュニティセンター機能などの議論を踏まえて施設設計が行われた結果、 建設費は7億円に膨れ上がりましたが、1995年に施設は稼動しています。 施設稼動後、付帯条件のひとつである監視組織としての運営委員会が設けられ、2回会合が開かれましたが、 特に問題点がなかったことから、その後は問題が生じた場合にのみ開催することを狛江市が提案し、住民も了承しました。 計画案時点で懸念された騒音や安全問題も生じていません。むしろ、保育園と住宅地との間にセンターが建設されたことで、 幼児の声が聞こえなくなり、環境が改善されたとの声も聞かれます。

手間暇かかる住民参加、成功は情報公開の姿勢から

 狛江市も武蔵野市と同様、施策への総論賛成を受けて計画を発表したところ、市民の強い反対に会い、 計画を撤回した上で、候補地選定からの住民参加を行いました。候補地選定では専門家も加わって、 リスクを含む環境影響評価を行っています。このプログラムに狛江市は中堅職員1名を専任として担当させなければならず、 建設コストもかなり高いものになりました。しかし、この活動に携わった狛江市職員は、 今後行政の施策は計画から実施まで住民の同意をとりつける時間がかなりかかるようになるだろうと述べています。 また、彼は、狛江市の成功要因の一つとして「裏切らない、隠さない、嘘をつかない」という情報開示の姿勢を貫いたことをあげています。




参考文献:
寄本勝美編著「自治体・地域の環境戦略 第7巻 地球環境時代の市民、企業そして行政」ぎょうせい、1994年。 土屋智子「電気事業におけるパブリックコミュニケーション―価値観、情報の信頼性、住民参加の影響について―」電力経済研究No.41、1999年。



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