心得3「リスク情報はトレードオフ(バランス)が重要」

 トレードオフというのは「あちらをたてれば、こちらがたたず」という関係を指す言葉です。 これも日常的によく体験する判断のかたちで、時給700円でアルバイトしている学生にとっては、 収入の大きさと自由時間の多さとはトレードオフの関係にあります。 同様に、評判のフランス料理を食べにいくと、くたびれてきた革靴を買い換えられなくなります。 無限の資源(たとえば、お金や時間、手間など)があるのなら問題は解決しますが、実際にそうはいきません。 環境問題や健康問題でも同じような構造がよくあるのですが、トレードオフが十分に考慮されないことも多いようです。 ここでは「リスク間のトレードオフ」と「リスク・ベネフィット間のトレードオフ」にわけて考えてみましょう。



心得3a. リスク間のトレードオフ

 リスク間のトレードオフとはあるリスクを削減することが別のリスクを生み出したり、増大させたりすることです。

 先に述べた人工甘味料の話は発ガンのリスクと糖尿病・心疾患のリスクとがトレードオフになっているという例で、 両方のリスクを比較しながら自分の選択を行うべきことを説明しています。 ほかに有名なところでは、アスピリンは頭痛に対する薬効がありますが、胃の粘膜に悪影響があり、長期的な使用は胃潰瘍のリスクをともないます。 薬品のトレードオフについてはリスクの大きさを比較する資料があります。

 しかし、すべてのトレードオフについてリスクの大きさが数量的に比較できるわけではありません。 たとえば、帰宅後20分間のジョギングは適度なエネルギー消費により糖尿病のリスクを低減させますが、 同時に心臓発作や交通事故、転倒など種類の異なるリスクをもたらします。 これらを総合してリスクの大きさを求めることは原理的にはできますが、一般市民が個人で計算することは容易ではありません。 また、薬品のようにリスクを管理し、質問に回答する責任のある組織がありません。 それでも、リスク間トレードオフについて考慮することは、あなたを取り巻くリスクを全体的に低下させようとする姿勢につながりますし、 社会のリスクを総体として問題とする姿勢にもつながります。



心得3b. リスク・ベネフィット間のトレードオフ

 ベネフィットとは、私たちの生活や社会に便益をもたらしているもののことを言います。 科学技術や人間の諸活動はリスクをともないますが、ベネフィットもあります。 だからこそ、そのような技術や活動が存在するのであって、もし何のベネフィットもないなら社会問題となる前に世の中からなくなるでしょう。 リスク・ベネフィットのトレードオフとは、あるリスクを削減することでベネフィットを失うことであり、 別の言い方をすると、リスク削減のためにはコストが必要になるということです。

 たとえば、飲料水の塩素消毒はコレラ、チフス、赤痢などの水系伝染病を防ぐ上でたいへん効果的ですが、 一方では副産物としてトリハロメタンという発ガン性物質を生成してしまいます。ここまではリスク間トレードオフの話です。 そこで、塩素を用いないオゾン処理に切り替えれば、少なくともトリハロメタンは生成されなくなりますが、 オゾンを製造するには多大な費用を要し、またそれには大量のエネルギー(化石燃料由来あるいは原子力発電のリスク)を必要とします。 つまり、オゾン処理への切り替えは、リスク・ベネフィットのトレードオフと、間接的なリスク間トレードオフの問題を引き起こすのです。

 

 多くの科学技術領域では、大きなベネフィットを得ようとすればその分リスクも大きくなり、 小さなリスクですましたければ期待できるベネフィットも小さいという、いわゆるハイリスク・ハイリターンの関係にあります。 ところが、私たちのイメージ的な判断では、化学物質や人間の活動は、リスクが大きいものはベネフィットが少なく、 ベネフィットが大きいものはリスクが小さい、という「悪玉」と「善玉」に分けてしまう傾向があるようです。 このような心理的傾向に対しては、心得2「程度で考える」で示したように、資料を求めてリスクの大きさを、 それからベネフィットの大きさもできるだけ数量的に把握し、条件をそろえて表現することが必要でしょう。



リスクのトレードオフについて考えるとき,参考となる本

J.D.グラハム・J.B.ウィーナー(菅原努監訳) 1998 リスク対リスク 昭和堂
H.W.ルイス(宮永一郎訳) 1997 科学技術のリスク 昭和堂
中西準子 1995 環境リスク論 岩波書店



もう一つのトレードオフ


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